雑記

コミュ力と礼儀は別のもの。

「俺はコミュ力が高い」と思っている新入社員に多いのだが、学生時代のコミュニケーションを、社会にも持ちこむひとがある。

これは困ったことで、なぜかというと、そのコミュニケーションのやり方では、仕事がうまくいかないことになるからだ。

 

なぜうまくいかないのか。

コミュ力と礼儀は別のものだからだ。

学生時代に人気者になれる力と、社会人で信頼してもらえる力はまるで違う。比べてみるとわかりやすい。

 

学生時代のコミュニケーションは、ほとんどが対面である。

対面のコミュ力とは、ただの人証把握だ。

また、学生には「初回の対面で攻めやすい」という特権がある。

「かます」とか「傷跡を残す」とか、そういう表現をするひともいるようだが、ようは初対面でふざけようとするのだ。

その年代は「誰と付き合うか」を自分で選ぶことができることも、後押ししていると思う。「合わないひととは離れる」ことができるし、「感じの悪い人とは友達にならない」ことができる。

自分が無礼な態度をとって嫌われても、それは相手と合わないだけだと思えるし、「苦手だな」と思われたら、相手のほうから離れていってくれる。攻めるリスクが非常にひくい。

そういうコミュニケーションばかりをとってきた、最初に対面で話すときだけ強いひとは、それをコミュ力が高いことだと勘違いをする。

 

しかし、社会人は(ビジネスでは)そういうわけにはいかない。

仕事はチームでやるものだ。仲間と離れることはできないし、プロジェクトに参加したらそのメンバーでしばらくやるしかない。「あいつは礼儀がない」と思われることは致命傷だ。

評価が高いのは「面白いひと」ではない。「信頼できるひと」だ。

最初に「感じがいい」と思われるだけでは足りない。

対面で話す機会も少ないのだから、人証把握も使えない。チャットやメールでのやり取りとなると、相手の反応を感じとったり、リアクションや身振り手振りに頼ることはできない。

 

必要なものはただひとつ、「礼儀」だけであるが、これは「自称コミュ力おばけ」の自信満々の学生が獲得することはむつかしい。

学生時代に「生意気だけどいい奴」みたいな、先輩にかわいがられてきたタイプは苦労している印象だ。礼儀、丁寧さが致命的に足りない。

(それが今までの彼らの武器であり、そういう生き方しかしてこなかったわけだから、突然に変わることもできないのだろう。)

 

礼儀は才能ではない。

気をつけていれば、誰にでもできることだ。

“親しき仲にも礼儀あり”というが、これはいつの世にも必要である。

 

無礼なひとは、うまくいかない。

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