AI の創作浸食がすさまじかったが、おれはまだ生きている。
そして、いまでは「誰も死んではいないのでは?」と思っている。
─── AI との戦闘はワンサイドゲームだった。
例えば、小説。
投稿利用に際しての注意事項をお知らせします。
過度な頻度でカクヨムへ作品やエピソードの投稿を行うことはお控えください。
「過度な頻度」とは、通常の創作活動では考えられないような膨大な量を短期間で投稿する行為を想定しています。
例えば、短期間で大量の作品やエピソード投稿が行われると、読者が新しい作品と出会う場である「新着小説」が機能しなくなってしまう等、他の利用者にとって不利益が生じてしまいます。
出典:カクヨム.「過度な頻度で作品やエピソードを投稿する行為はお控えください」(2025/11/13)- https://kakuyomu.jp/info/entry/2025/11/13/170248
例えば、イラスト。
このたびの利用規約改定は、AI技術の急速な発展によって発生している問題への対処を目的としたものです。また、pixivガイドラインはそれとあわせ、よくある迷惑行為への対処を目的に改定いたしました。
(……)特にpixivリクエストとpixivFANBOXへのAI生成作品の投稿は禁止となりましたので、ご注意ください。
出典:pixiv.「AI技術等に関する、サービス共通利用規約、pixivガイドライン改定のお知らせ」(2023/5/31)- https://www.pixiv.net/info.php?id=9640
例えば、動画。
「繰り返しの多いコンテンツ」に関するポリシーを若干更新し、繰り返しの多いコンテンツだけでなく大量生産されたコンテンツもこれに該当するということをより明確にします。また、このポリシーの名称を「繰り返しの多いコンテンツ」から「量産型のコンテンツ」に変更します。
出典:YouTube.「YouTube のチャンネル収益化ポリシー」(2025/7/15)- https://support.google.com/youtube/answer/1311392?hl=ja
おれも、AI によって無尽蔵にコンテンツが量産され、ひとが時間をかけて作成した創作物が埋もれていたように(消費者としてだが)感じた。
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さて、おれは「誰も死んではいないのでは?」と書いた。
その理由は、人間が AI に奪われない唯一のものは「創作」だろうと、おれは思っているからだ。”人間がやりたがること” はAIに奪われない、それはまぁ創作だろう。
AI が記事を書くからといって、おれはブログをやめない。
そもそもやめる理由がないじゃないか。
おれは書くのが好きだから書いている。
「なにかを書きたい」という欲がおれをつき動かしている。
おれは書くことに、(基本は)AI を使わせることはない。
だからといって、AI 反対者でもない。非利用者なだけだ。
おれと同じ想いのひとは少なくないだろう。
物語を自分で書きたいというひとはいなくならないだろうし、
自分の理想をイラストにしたいひともいなくならないだろうし、
音楽を自分で奏でてみたいと思うひとはいなくならないだろう。
それは、すべて創作活動にいえるものだとおれは思う。
─── だから、もともと楽しんでやっていたひとたちは、みんな楽しく生き残っていると思っている。
(死んだのは、いわゆる「お金稼ぎ」をしたい層だ。稼げていた仕組みを AI にぶち壊されたひともいるだろう。いまは、ただ「AI をうまく使う対決」になっている。)
まぁ、熱意は人間の特権だろう。
いくらなんでも、ひとの欲までを奪うことはできない。
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創作は未来の自分を癒す、とおれは思っている。
その方法はなんでもよいのだが、自分を(あるいは自分の感情を)表現する創作を、なにかしら持っておくと人生は少し楽になるのかもしれない。
極端な例になるが、芸術方面のひとは生涯かけて作品を作っている。『水玉』の草間彌生さん(現代美術家)は、97歳まで、最後の1日まで絵を描いていたという。
創作は人生を充実させる。とおれは思う。
(むしろ、自分を表現する手段がなにもないことは恐ろしいことだと思う。)
去年、旅館に行ったとき、夕食に手書きのお品書きが付いてきた。
味のある文字だった。
妻が「なんかいいね」と言った。
おれも「いいな」と返した。
こういうのがなくなると、さみしくなるだろうな、とそのときに思った。文字は食べられないが、料理をおいしくすることができる。印刷ではこころは動かない。
うまく伝わるかわからないが、おれにとっての創作とはそういうものだ。大事にしていかなければならない。