「本を読む時間がないなー」と感じたのは去年だ。2025 年のはじめに「1 年で 50 冊の本を読む」という目標をたてたが、進捗はすごぶる悪かった。
いつか見つけてきた『今年読みたい技術書 10 選』の記事もブックマークに入れただけ。手元の本だけでいっぱいいっぱい、それすらも「古い本」という印象になっていた。
このままではマズいと思い、色々試してみた。
その結果、調子がいいときは週に 1 冊のペースで本を読めるようになった。
─── で、「それをきちんと継続できている」ということもあり、共有できる価値があるのではないかと考えた。せっかくなので、じっさいに効果のあったヒントをまとめてみる。
目次
本は新品を買う
身銭を切る。
"もらったクスリは効かない" ともいう。本はクスリほどありがたいものではないが、やはり、金を出して買うべきだ。わざわざ読もうと思えるのは、買った本である。
また、本は自分で選ぶのがよい。
知り合いから紹介してもらったり、ネットのおススメ欄から順番に読むようなことはおススメしない。教えてもらった本は反発することが多い。(ように感じる)
図書館や、会社の蔵書を借りて読むことがすばらしいというのは常識で、けれど、そこには「重み」がない。自分で選んで、自分の金で買った本は、ずっと重い。
途中で読むのをやめてしまう場合の感情もちがう。
「ひとにおススメされたものだし、合わなくても仕方ないよな」ではもったいない。自分で選べば「こういう本はまだ楽しめないんだ」と発見できる。
(どうしても本をハズしたくないひとは、紹介された複数の本から、ひとつを自分で選択すればよい。だいたいその直感は正しい。その場で Amazon をつかって買えばいい。)
紙で読む
本は紙で読むのがいい。電子機器だと "都合が悪い" かもしれない。教養書と娯楽がおなじ棚にあるようなものだからだ。
kindle が便利なのことも、デジタル化したいという気持ちも分かる、が、ひとの意思はそんなに強くないので、誘惑は少ないほうがよい。「スマホで読もう」などと考えないほうがいい。
紙で読むメリットのひとつに、読んだ本をコレクションできることもある。
こういうことをいうと、「家が本であふれる」とか、「置く場所がない」いう反論をうけることもあるが、その点については安心して欲しい。
それはメチャクチャ本を読むひとの悩みであって、「本を読む時間がない」などといってるひとには無用な心配だ。
─── もし、1週間に1冊のペースで読んだとしても、1 年で 50 冊程度しか増えない。じっさいはそんなにも読めないから、その半分だろう。
本当に家が本であふれたとしたら、それはむしろよろこぶべきことだ。それだけの本を読んだという実績であり、読書が習慣化している証拠なのだから。
本を携帯する
スマートフォンは頻繁にみる。それができるのは携帯しているからだ。ならば本も携帯すればよい。(ついスマホで SNS をみてしまうような悪い癖も治せる。)
ただし、携帯する本を選ぶさいに、ひとつだけ注意点がある。それはセクションが多い「ちょっとした時間にサクッと読める本」を選ぶことだ。
なぜか。
キリよく読みきりたいからだ。セクションが多い本ほど、ひとつのセクションが短い。ひとつのセクションが 2 ページほどの本も珍しくない。これだと電車の中でもキリよく読める。
読みきれることは重要だ。読書の敷居がグッとさがる。
私のお気に入りの本に、安達 裕哉 著『頭のいい人が話す前に考えていること』がある。
この本は 335 ページが 75 ものセクションに分かれている。ひとつのセクションにつき平均 4 ページと少しだ。これならサクッと読めそうだ。そういう本を選びたい。
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「今日から読書の習慣をつけよう」と思うなら、まずは「ちょっとした時間に読む本」と、「じっくり時間をかけて読む本」を分けてみてもよいかもしれない。なにかと都合がよくなる。
ちょっとした時間は、ビジネス書や自己啓発本を読む。
自宅でじっくり時間をかけて読む場合は、知識本や技術書を読む。
読みかけの本をいくつか持つことは "悪" ではない。次にひらくのが 1 週間もあくのは困るが、3 日程度では「あれ?前のセクションはどんな内容だったっけ?」となりにくい。
昼休みに 10 分だけ読む
ついでに、時間の考え方についても書いておく。
読書をするとき、「まとめて 2 時間くらい時間が欲しい」とほざくひとがある。2 時間は相当長い。1 時間でもそれは変わらない。現代人はまとまった時間を作るのが難しい。
そういうことをいっていると、永遠に本を読む日は訪れない。
けれど、1 時間について「10 分を 6 回」と考えたらどうだろう。
「30 分を 2 回」でも構わない。
……なんとなく作れそうな時間ではある、気がする。
仕事の昼休みに 10 分だけ読んでみる。
たった 10 分かと思われるかもしれないが、このきっかけが大事なのだ。ほんの少しの成果(本が進む)がでれば、時間を分割するという考えかたが育つ。
例えば、300 ページのビジネス書を読むとする。8 時間くらいかかりそうだ。平日に 1 時間、休日に 1.5 時間半の読めば、1 週間で読み切ることができる。
1 日に 1 時間の時間を確保するのは難しいだろうか?
私は「なんだ、カンタンじゃん」と思う。出社前に15分、昼休みに15分、お風呂の前に15分、寝る前に15分だ。─── 生活リズムやルーチンを変えるまでもない。
3 冊以上の本を積む
次の本がないと、ひとつも読まない。
いつも次の本を用意しておくことだ。
今の本がつまらなかったときに、すぐに本を変えられるようにするためでもある。数ページを読んで「これは楽しみだ」とニヨニヨした本を抱えられたら安泰だ。
読書をするにも気分がある。1 冊に飽きたら他の 1 冊を読んでみる。そういう本に限って読みだしたら止まらなくなってしまう。
むしろ、1 冊しか本を持たないのはリスクだ。その 1 冊がキツくなったとき、"読書" そのもののモチベーションがなくなる。そのまま、読書をやめてしまうひともある。
途中で「おもしろくないな」「まだ自分には難しかったかな」となった本はいったんスルーしておけばいい。次の本にうつってもいい。
(「週に 1 冊は読む」などの目標をたてると、本を本棚に戻しにくくなる。あまりノルマは作らないことだ。読書は自由である。)
同じ本を読んでもいい
「3 冊以上の本を積」めと書いた。積む本は新書に限らない。同じ本でもよい。
一度読んだことのある本であれば、読む敷居も格段にさがる。面白いことが分かっているならなおさらだ。難しい本のおともには最適である。
読書をやめてしまうひとが選ぶ本には特徴があるように思う。
そのひとつに、「自分がまったく知らないジャンルの本を選ぶ」がある。10 分かけて 2 ページをよみ、それでも理解ができないこともある。これでは読書がしんどくなる。
「せっかく読むなら、世界を広げたい」という気持ちは分かる。
読書にはふたつの読み方があるという。
既知の読みと、未知の読みだ。
既知の読みは、「データを増やすだけで世界をひろげない」と嫌味をいわれることもある。過激派には「本を読んだとはいえない」とまでいわれてしまう。
しかし、私はそう思わない。
しっかりした読書とは、ただの多読ではないはずだ。
むしろ、一度の読みでわかってしまおうというのは思い上がりだ、とさえ思っている。二度読み、三度読み、それでは足りなくて、四度読む。そういう精読も必要だろう。
くりかえし読むことで、あまりピンときていなかった節が、急に理解できるようになることがある。昔の人は、それを「読書百遍意おのずから通ず」ということばで表現した。
中国には「韋編三絶」(いへんさんぜつ)ということばがあるそうだ。孔子が「易経」を好んで読み、何度も読んだために、綴じた革ひもが三度も切れたという。くりかえしくりかえし読み、深く理解することもできたであろう。
読める時はとことん読む
読書をしていると、たまーにキツネが憑く。これはしめたものだ。
キツネ憑きになると、集中力があがり、すばやく読んでも理解できる。読書が楽しくて楽しくて、たまらなくなる。
そういうときは、読み進められるだけ、とことん読めばよい。睡眠時間を削ってもいい、とさえ私は思っている。キツネはなかなか憑いてはくれないのだから。
たくさん読んだ次の日は注意する。
昨日たくさん読んだからといって「今日は読まなくていいや」というのは絶対にやめる。そういうのは、クセになりやすい。
「今日はやめて、明日たくさん読めばいいや」というのも、またやめる。心がくじけて、そのまま読まなくなってしまう。
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いつでもキツネ憑きになれればどんなに楽なことか。
しかしそう簡単にはいかない。キツネはなかなか憑いてくれない。
ただ、キツネを迎える準備をすることはできる。
準備はかんたんで、体調をととのえ、睡眠を十分にとっておくこと。あとは、残業、飲酒、暴食をせず、こころに余裕のある生活をすることだ。
我々ができることは、いつキツネが憑いてもいいように準備しておくことだけだ。(読みたい本が溜まれば、それが起爆剤になりキツネが憑くことはある。)
読書用のエリアを設ける
教養書や技術書は、自宅でじっくり読みたい。そのために、そこに座れば脳が「読書をするぞ!」と切り替わる環境を用意したい。
トリガーは大切だ。
行動の前には必ずトリガーがある。トリガーをつくれば、行動にもつながる。自分専用のエリアがあれば「そのイスに座る」など、実現しやすい。
エリアには、植物やお気に入りのキャラクターのフィギュアを置くのもいい。
風水、方位、部屋の配置が人生に影響するというのも、あながち迷信ではない。部屋にも性格があるもので、部屋の性格がなぜ決まるのかは分からないが、確かに存在する。
邪魔者を排除する
読書用のエリアを作ったら、環境整備をはじめよう。"邪魔者" と書けば誤解をうむかもしれない。「集中力を切らす要素を取り除く」と書き直すことにする。
読書用のイスにはこだわる。お尻が痛いと集中できない。
冬は足をひやさないほうがいい、部屋の温度・湿度は大事。
騒音なんてもってのほかだ。ノイズキャンセリングのイヤホンをつけてみる。
なにも不快感だけではない。
例えば、私はなにかを飲みながら、あるいはなにかを食べながらだと読めない。
読者のなかには、コーヒーを準備して、優雅に読むことにモチベーションを感じるひともいるかもしれないが、ちょっと否定したい気持ちもある。
それで集中できるのであればよいが、「それは難しくないか?」と思ってしまう。本当に集中していれば、コーヒーは飲むころには冷えてしまっているはずだ。
─── 話がそれた。
自分の「不安」、家族の「不満」を取り除くのも大切だ。
読書をしたいがために家事を妻に押し付けるとする。妻の機嫌は日に日に悪くなるだろう。もしかしたら嫌味を言われてしまうかもしれない。読書どころではなくなる。
妻が洗い物をしているのに、自分だけが好きなこと(読書)をするのはしのびなく感じる。そういう気持ちがあると、カチャりという食器の音にも敏感に反応してしまうだろう。家事は協力して、事前に潰しておくのがいい。
スマホは目の入らないところに置く
スマホは目の入らないところに置いておく。これは絶対にやる。
「トリガー → 行動」のさきには、「報酬」がある。スマホをみるのは、短期的にすぐさま「おもしろい」という報酬を獲得できるため悪いクセになりやすい。
スマホが近くにあり、SNS の通知が届けば最悪だ。それはもう熟練者のように SNS を確認し、ついでにメールも確認し、ちょっとだけだからと YouTube を開いてしまうだろう。
それだけで 1 日が台無しになる。
そうならないためには、「スマホが気になる」というトリガーそのものを封じるしかない。
「スマートフォンがそこにあるだけで、人間の脳の処理能力が消費される」という研究結果もある。直感的にも、「まぁそうだろうな」と感じる。
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トリガーはあらゆる場面で意識したい。
- 昼休みのチャイムがなった途端にスマホを取り出すのではなく、本を手に取る。
- 電車で腰をおろしたとき、カバンを枕にして眠ってしまわないようにする。
- ベッドでゴロンと横になってしまうと、スマホしか触れなくなる。
ほかの目標と同時進行しない
ひとつずつすることを心がける。
「今日は本を読む」と決めたら、ほかには何もしない。本を読むことと、プログラミングの勉強は、同時にはできない。そうでないと、どちらも中途半端になってしまう。
マルチタスクは効率的に見えるが、そうではない。集中力をイラズラに分散させているだけだ。しかも、1 の集中は 0.5 と 0.5 にならない。0.45 と 0.45 ほどになってしまう。
どうしても複数のことをやりたいなら、Twitter の共同創業者、ジャック・ドーシーのように曜日ごとにやることを決めるのがよい。月・水・金は読書、火・木はプログラミングの勉強。
これなら退屈もしない。
本屋があったら入ってみる
本の好みや興味は日々変わる。体調にも左右される。おなじような本が並んでいるようにみえても、毎回景色は違うものだ。
そういうときに興味をひいた本は光をはなつ。
手に取って目次を確認する。後半の章をチラリと覗いてみる。おもしろそうだと感じたら迷わず買えばいい。なにもすぐに読まなくてもよい。ニタリニタリしながら温めておく。
また、いくつか本を読みあさると、連想ゲームがはじまる。
「認知バイアス」からはじまり、「行動経済学」にも興味がわく。
「心理学」で個人を知ると、「社会心理学」で集団を知りたくなる。
「ロジカルシンキング」で組んだ論値を、「クリティカルシンキング」で疑う。
「文章術の基本」を学べば、自然と「構成術」にも手が伸びる。
そうやって「次の本」を用意することでも、読書は加速する。
短期的な目標(ノルマ)をやめる
一番最悪な目標は「1日20ページ読む」のような、短期的な目標を立てることだ。
ノルマに追われることは継続において致命傷になる。
想定していたノルマが終わらないと、坂道を転げ落ちていくように作業の質が落ちる。どんなかたちでも終わらせようとするからだ。
それでササッと読み飛ばしたりする。
次の日には「こんなところ読んだっけ?」となる。すぐに嫌になる。
ノルマをこなすためだけの読書には意味がない。身にもならない。
読書は仕事ではない、プレッシャーを感じる必要はない。
「この時間に読む」と決めるのも私はおススメしない。その時間を逃してしまうと「今日はもういいや」となり、せっかく時間があってもスマホ時間になってしまう。
「明確なルール」と「無理のない習慣化」はあまり相性がよくないと思う。
読書に目的をつくらない
つい、読書をする目的(スキルアップやキャリアアップ)を作りたくなるが、なくてもいい。
むしろ、期待があると、効果を実感できないときに虚無感を引きおこす可能性がある。それで「読んでも意味がない」とか、「読書が向いてない」とか、そういうカン違いをしてしまう。
そもそも、読んだその日に「知識が増え、視野が広がる」なんてことは稀だ。
ときおり「朝に読んだ本の内容をその日のうちに実践できる。だから本は朝によんだほうがいい!」などと、まだ寝ぼけてんのかと思ってしまう天才がいるが、あまり間に受けないほうがいい。
読書による知識は、湖の底に飼っている魚に似ている。(と思う)
いつもは湖が濁っていたり、水草に隠れているので魚影はみえない。
けれど、行き詰ったとき、湖から魚影がチラと覗くときがある。そのときにサッと釣り糸をたらしてみると、かんたんに釣りあげられるものだ。あみで無理矢理に捕まえにいく必要もない。無理につかまえようとすると湖が濁ってしまい、それ以上の魚がでてこなくなる。
ふだんは見えなくとも、読書によってかならず魚は増えている。ふっとした瞬間にそれが見える。必要なときに、かならず姿をあらわす。あせらなくてもよい。
以上。