30 歳。妻あり。子なし。───最近、時間のかぎり本を読んでおかないと不安になるのですが、みなさんどうでしょう。
極端な話をすると、「40 代を後悔しない 20 のこと」という本があったとします。この本を 40 代になってはじめて読むのは、きっと遅いです。
目次
もし過去にもどれるなら
もし学生時代に戻れるとしたらどうでしょう。
「スポーツは本気でやればよかったな」
「もっと勉強がんばればよかったな」
「一度、サボってカラオケとか行きたかったな」
こんな後悔がたくさんあるでしょうし、「今ならこんなことにチャレンジしたのにな」という思いがあるはずです。
そんな後悔を、今後もずっとしていくんですか?って話です。
30 歳になって、20 代の後悔を。
40 歳になって、30 代の後悔を。
死ぬときになって「ああ、もっとチャレンジすればよかったな」と。
私は、この後悔にたいして強い抵抗があります。
誰かの優位になりたいとか、そういう話ではありません。人生に後悔を残したくないといいますか、これもちょっとちがうのですが、自分の人生に「損をしたな」という部分を作りたくないのです。
読書は「やっておけば」の代表格
───で、読書に関しては、まさに後悔の代表だと思うワケです。
よく、「もっとはやくこの本に出会っていれば」という話をよくききます。この話は本の広告としても使われることがありますが、あながち間違いではないだろうと思います。
著名人の多くも、自分の意見を語るときに書籍の引用をもちだします。
マネジメントを語るにはピーター・ドラッガー『マネジメント - 基本と原則』。
人間心理を語るにはデール・カーネギーの『人を動かす』。
投資を語るにはロバート・キヨサキの『金持ち父さん 貧乏父さん』。
よい本を 1 冊読めば、(大袈裟にいうと)そこに書いてあることから人生のヒントをもらえ、自分の主張や生き方を固めることができるわけです。
それらの本も、古代ギリシャ人の教え、ユダヤ商人の考え方(いわゆる古典)を参考にしているわけです。「1 冊読みこめば人生が変わる本」は存在するのです。
世の中には、本を積んで「1 ヶ月に 10 冊も読んだ」とよろこんでいるひとがいます。ですが、そんなに簡単に読める本には価値がないと思います。読書百遍、葦編三絶───同じ本を何回も読むことで、世界がひろがることは昔から言われていることです。
よい本に出会いたい
繰り返し読める、よい本に出会いたいです。
「はやく世界を広げ、広がった世界をできるだけ長く楽しみたい。」
そういうことを思って本を読んでいます。
そういう読み方をしようとすれば、本をむやみに手当たり次第読むことなど、とてもできないことになるはずです。わずかでよいから、読むに値する本を、何度も読むことです。
読書百遍、ボロボロになるまで、読み込むなどということは現代的ではありませんが、そういう本を二冊か三冊つくれば賢くなることができます。
何度も読み返した本が五冊もあれば、本が読めるといってよいでしょう。もっとも、いまのように、書物があふれている時代には、本当に読むに値する本にめぐりあうのは、なまやさしいことではないかもしれません。
まず、古典を選ぶことでしょう。
外山 滋比古『日本語の絶対語感』P84
私があせり過ぎなのでしょうか。
全部の本を読んで、いっさいの後悔をしないというのは無理だと承知しています。けれど、時間のかぎり本を読んでおけば、少なくとも「もっと本を読んでおけば」という後悔は、しなくて済むのかなと。
以上です。
参考書籍
外山 滋比古『日本語の絶対語感』大和書房(2015年)