P 雑記

現代人に「未知」は難しいんじゃないか。

私は現代アートが好きです。

2018年、社会学者の古市 憲寿 氏は「現代アートは社会にケンカを売るのが仕事」と述べました。私はこれを忘れられません。当時、学生だった私は衝撃をうけたのです。

「現代アートは社会にケンカを売る仕事」と書きました。

この像が論争を生むのはすごくわかるんです。福島イコール放射能、放射能イコール危ない、というイメージを増幅させると批判される方もたくさんいると思います。地元の人からしてみたら、福島はもう別に危険でもないのに、なぜこんな像がという批判も当然わかるんですね。

ただ一方で、現代アートの役割というものを考えると、みんなから批判もされないようなすごく穏便なものをつくったところで意味がないと思うんですね。こうやって論争になって撤去されるとか、世間で話題になることを含めて現代アートの役割だと思います。

現代アートとして考えてみるならば、(…)あえてこうやって社会にケンカを売るような作品をつくったということは意味があると思います。

出典:日テレNEWS.「現代アートは社会にケンカを売るのが仕事」(2018年9月20日)- https://news.ntv.co.jp/category/society/404606

 

じっさい、現代アートは社会に喧嘩を売れば売るほど話題性はたかくなります。「元来、アートというものは社会に喧嘩を売ってきたのだ」というフレーズもよくききます。

───このように、人の感情(やるせない怒りや、耐え切れない悲しみ)が作品にこめられていること、これが私が現代アートに魅かれる理由です。

 

で、こういう特性をもつ現代アートを楽しむためには、「未知への耐性」がないと難しいんじゃないかなーと最近になって思うようになりました。

 

現代アートについて簡単に

現代アート(コンテンポラリーアート)は、分からないもの・未知のものです。(私は専門家でもなんでもない一般人なので、話半分にきいてください。)

  • 草間 彌生(くさま やよい)の水玉の作品
  • 村上 隆(むらかみ たかし)のカラフルなキャラクター
  • バンクシーの政治風刺アート
  • モナリザの顔にマスクをつけるアプローチ

 

現代アートとはなにか。「正解のない問い」と表現できると思います。

見る人に考えさせ、感じさせ、社会や自己と向き合わせることを目的とするものです。作品の美しさや技術よりも「コンセプト」や「問いの深さ」が重視されます。

 

Q. 現代アートって難しい、意味がわからない。
A. 正解がないのが魅力です。「よくわからない」と感じることもアートの一部です。

Q. なんでこれがアートなの?
A. コンセプトこそが作品の本体です。形よりも考え方が重要視されます。

 

なので、ジャンルや素材も自由です。絵画・映像・インスタレーション・パフォーマンスでさまざまで、無形物の作品も多いです。

コンセプトが重要視されるため、メッセージ性が強いです。社会問題・政治・ジェンダー・アイデンティティなどをテーマにすることが多いです。

 

 

未知への耐性

以前、本の読み方について、ベータ読みの話をしました。

ベータ読みは、「書いてあることが、読んでみてもわからない」───未知のことがらの文章を読む読み方です。

(…)

自分の知らないことを活字から読みとるためには、ベータ読みが必要です。すでに知っていることを読む「アルファ読み」で読もうとしても、わかるはずがないのです。

ベータ読みができれば、わからないことを読んでも、理解することができます。知見をひろめ、こころを大きくしていくことができます。ベータ読みができてこそ本当に本が読める、ということなのです。

出典:はいはいブログ.「本を読んでもバカのまま人と、そうでない人の読み方の違い。」(2025年6月1日)- https://haihaiblog.com/beta-reading/

 

で、ここからが大事なこと。

上記記事の参考になった本には、こんなことも書かれていました。

現代はますますこの傾向にある。アルファ読みしかできない人が多く、多くの出版社も分かりやすく、分かりやすくを意識して本を作っている。そうでないと理解されず、売れないからだ。

出典:外山 滋比古『日本語の絶対語感』大和書房(2015年)

 

たしかに、書店にならぶ新書はどれも分かりやすそうで、タイトルだけを見てもつい手に取ってしまうような「煽り文句」が並べられています。

本を手に取りやすくなるのはとてもよいことだと思います。ただ、現代人が「分かりやすいもの」しか読まなくなったとき(読めなくなったとき)、本当に「未知への耐性」がなくなってしまうのではないかと思ったのです。

 

 

タイパ・コスパ重視の社会

最近はコストパフォーマンス・タイムパフォーマンスが重要視されているために、「時間をかけて理解しようするひと」も減っているように感じます。読書百遍、韋編三絶、ゆっくりと時間をかけて理解するのは、コスパが悪いのです。

 

タイパ・コスパ重視だと、現代アートをみても「で、これってどういう意味なの?」とすぐにネットで調べてしまうでしょう。

「自分がどう感じて、なぜそう感じたのか。」を考えないからです。

自分で考えないから、意味を知っても「ふーん」で終わってしまいます。正解とされているものや、ほかのひとの意見を聞いたところで議論ができないのです。

 

私は、アートは「見るひとによって感じることが違うもの」だと思っています。他人の感想や作品のコンセプトだけを聞いて「たしかにそう感じるかも」では、もったいないなと思っています。

未知に対して自分で考えられない人は、きっと、現代アートはつまらないんだろうなと思います。作品をみて「分からないから」と興味を失ってしまう人にはあわないと思います。

 

 

じっさいどうなのだろう。

最新の現代アートをネットで調べてみます。

私はおもしろいなぁと思います。

みなさんはどうでしょうか。

 

意味がわからないから、つまらないのでしょうか。

「俺は分かるがお前は?」とマウントを取りたいわけではありません。ただ、つまらないひとが多いと、現代アートそのものの需要がなくなってしまうのではないかと心配になるのです。

そうなると、「未知」の表現がなくなってしまう、もしくは「未知」が武器だった現代アートは別のかたちになってしまうかもしれません。「もっと分かりやすい」作品が生き残るでしょう。

 

みなさんはどうでしょうか。

現代アート、おもしろいと思いますか?

 

以上です。

 

 

参考書籍

外山 滋比古『日本語の絶対語感』大和書房(2015年)

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