雑記

ひとの心をつかむ、「①② - ⑤ - ③④」の説明順序。

おもしろい文章、おもしろい演説にはいろいろな種類があるが、つまらない文章、つまらない演説には決まって「すべてを順番に説明する」という単調さがある。

なぜ単調な説明はつまらないのか。

聞き手がただ受け取るだけの存在にされてしまうからだろう。

最初から最後まで整理されていると、想像や発見がはいりこむ隙がない。驚きも飛躍もない。感情が揺さぶられる瞬間も生まれない。そうなると、自分ごととして考える機会を失い、興味は離れていく。

ひとの心をつかむ「説明、文章、演説」のコツがある。すべてを説明しきるのではなく、あえて考える余白を残すことである。

 

説明の本質は「与える」ことではない

ひとは、「誰かから教えられた答え」よりも、「自分で考えてたどり着いた答え」に、はるかに強く納得し、愛着をもつ。

心理学ではこれに近い現象として、"自己生成効果" や "内的動機づけ" が知られる。自分で考えて補完した情報は記憶にも残りやすく、「わかった」という感覚を伴いやすいとのことだ。

 

そういう理由もあり、私は「よい説明」とは、理解を与える行為ではなく、理解が生まれるきっかけをつくる行為だと考えている。例えば、①~⑤ までの説明があったとき、

全部を順番に語ってもいいが、こんなやり方がいいだろう。

  • ①と②を言う。
  • ③と④を飛ばす。
  • ⑤を言う。

 

説明に “穴” があると、それを聞いていたひとは無意識にその穴を埋めようとする。

その結果、聞き手は説明されなかった③と④の内容を自分なりに想像しはじめる。

 

ここで重要なことは、③と④の内容が;

  • 大きく外れにくい内容であること
  • 曲解されても問題にならない内容であること

このふたつの条件を満たしていればよい。

 

聞き手が③と④を想像しているとき、ビックリするほど集中してくれる。

聞き入っていると表現してもよいくらいだ。

 

さぁ、いよいよ③と④を説明する。

もしそれが、聞き手の想像と近い内容だったなら、相手はニヤリと笑ってこう感じる。

「あ、やっぱりそうだと思った。」

「この話、分かるな。」

じっさいには説明されているのにも関わらず、「自分で思いついた」かのように感じるのだ。この瞬間、聞き手は受け身ではなくなる。話を聞かされているのではなく、参加している状態になる。

そうなればこちらのもので、相手はすでにこちらの話を聞くことが楽しくなっている。

 

自分のことばによって、相手に自分で考えさせること。これこそが、「心をつかむ」ためのひとつの要素ではないかと私は考える。

 

 

カウンセリングとおなじ原理

ちなみに、この考え方はカウンセリングやコーチングの世界とも重なる。

そこでは;

  • 答えを説明しない
  • 解釈を押しつけない

─── という姿勢が重視される。

なぜか。

 

「自分で気づいた」

「自分で言語化した」

この体験そのものが、自己肯定感や回復力につながるからだ。

教えられた正解ではかわらないし、自分でみつけた答えでしか動けない、ということである。

 

 

説明しないことは、信頼することでもある

説明しすぎないというのは、手を抜くことではない。相手の思考力を信じるということでもある。

これが非常に大事になるのが仕事だ。全部を説明してしまえば、確かに誤解やミスは減るかもしれない。だが同時に、成長と、仕事の楽しさを奪ってしまうことになる。

 

余白のある説明をすると、部下の「自分で考える力」を伸ばすことができる。また、当事者意識が芽生え、責任感をもって仕事にあたるようになる。

 

新入社員はとくに受け身の姿勢であるが、そこに、ちょちょいと余白を入れてみる。

余白があるから、参加が生まれる。

参加があるから、納得が生まれる。

答えを求めるのではなく、自分で答えを見つけてくるようになる。説明されなかった③と④どころか、次なる提案となる⑥、課題となりえる⑦を自分で考えるようにもなる。

言われなくても、次の仕事が分かるようになる。

先まわりして、私の仕事を奪うようになる。

そういう部下は楽しそうに仕事をしている。

 

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説明とは「正しく伝えること」だけを目的にした行為ではない。相手が自分で考え、自分の言葉として受け取る。そのプロセスをどう設計するかという営みである。

どこまでを語り、どこまでを語らないか。

そのサジ加減こそが、ひとの心をつかむ技量となるのではないだろうか。

 

以上。

 

 

参考書籍

東山 紘久『プロカウンセラーの聞く技術』創元社(2000年9月)

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