おれがブログを書いたり、Qiita(IT 技術記事の投稿サイト) に記事を投稿していることを誰かにいうと苦笑されることが多い。
反応から「それ意味ある?」のニュアンスを感じる。
「まだ好きなゲームしてたほうがマシ」とでもいいたげだ。
もしかしたら、そういう趣味があってうらやましいと思われているのかもしれない。おれもむかしは他人の創作に嫉妬(?)していたものだ。ゲームは楽しいが意味はない。
現代人はいそがしい。
なにかを(個人で)創造するひとは減った。
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AI に聞けばなんでも分かるもんだから、現代人はネットサーフィンをしない。誰もおれの低級な文章に辿り着けることはないだろう。
ネットサーフィンとはうまくいったものだ。いまは情報の波が高すぎる。流されるのが精一杯で、もしかしたらいくらかのサーファーは沖に流されているのかもしれない。
おれは流された沖の深海に存在している、ような気分でいる。
誰の声も聞こえないし、誰もおれの声を聞けない。
そこでおれは書いている。
おれは本も読む。
好きなカテゴリは文章読本だ。おれは書くことが好きだから、きっと「書くことが好きなひとが書いた本」をおもしろく感じるのだろう。
学べることも多い。ときに喧嘩したりもする。
もしかしたら本と対話している時間のほうが長いかもしれない。ひとに関わることが苦手なものだから、SNS もロクにせずに本ばかりを読んでいる。
おれには令和を生きる才能がないのだろう。
間違いなく、ひきこもりの才能はあるだろうが。
陸の世界では、読書はコスパが悪いといわれているらしい。
ほんとうのところそれは誤りだろう。
じっさいにやってみると分かるのだが、特定のカテゴリに関する本を 10 冊ほど精読し、その内容をSNSに投稿するだけで専門家になれる。
読書は、その世界を知るのにもっとも適している方法だと、おれは思う。書籍は、読んだ者にはいつも正しい情報を、正しい用量だけ処方してくれる。
しかし、SNSはそうではない。お前がよろこぶ内容を、よろこぶ量だけ出される。
相手はからかっている気分でいて、とても気分がいいんだろうなと思う。(そういうことを考えるから、SNS が苦手なのかもしれない。)
おれはゲームも作っている。
「中学生みたいなやつだな」と冷笑されてしまうかもしれない。じっさい作っているものは大したものじゃない。いまどきの中学生なら、すぐに作れるだろう。

こんな音ゲーを作っている。
基本は、1曲あたり「Easy / Normal / Hard」の難易度を用意している。
ノーツを配置するだけだが、実は8時間くらいかかる。
おれはこれで休日を潰すこともあるが、プレイヤーはおれしかいないのだから、これ以上の自己満足はないだろう。
けれど、これはおれが唯一いちから作ったものではある。
男子は、誰しも一度は「自分でゲームを作ってみてぇ」と思うものだ。
おれは 30 歳をこえてから、その夢をかなえた。べつにこれが良いとか悪いとか、早いとも遅いとか思わない。創造と夢に年齢は関係ない。
おれは冷笑される側の人間だと思っている。
別に冷笑されるのはかまわない。むしろ冷笑されたい。
おれは、おれが冷笑する側になることを恐れている。
いつも冷笑される側でありたい。