Example 文章術

「ですます」と「である」の語調、どちらにするか迷わなくなった考え方。

モノを書くときに、敬体(ですます調)にするか、常体(である調)にするか───これは意外と大きな決断だ。どっちにするべきか、ながく迷うこともある。

基本的には、内容や読者にあわせて選ぶべきだろう。私も、そのように選んでいた。もし迷ったときには丁寧な方がいいだろうと思い、「ですます」調で書いていた。

 

自分の文章が書けない

Web で調べてみても、同じようなことをいうひとが多いようだ。共有するような温かい語りなら「ですます調」が似合う。しかし、分析的に紹介するなら「である調」の方が自然に感じられる、そういうことが書いてある。

けれど、その基準では ”しっくりこない” ときがある。ところどころ「である調」の方がいいな、という箇所がでてきて、修正すべきか悩む。そのうち「やっぱり違う」と爆発し、全部書き直すはめになる。

 

なぜそうなるか。───丁寧な語調を気にするあまり、自分の書きたい文章が書けなくなるからだ。これが歯痒い。「もういっそ自分基準で考えられないものか」と何度も思った。

 

 

自分基準で選ぶ

たまに、「誰に書いているか分からないけど、どうしてもこれを書いておきたい!」ということが思い浮かんでくるときがある。これはしめたものだ。

モノカキにとってこれほどありがたいことはない。それを中心にテーマを固める。流れてきたことばを思い切って、大胆に書いていく。調子も上がってきて、そのまま書ききってしまうこともある。

 

私は、それを「である調」で書き殴る。

大まかなところを書いて、それができたら、細かいところに心をくばればいい。「である調」で、書きやすいところから入っていけば、のびのびして、いいたいことが言いやすい。よしよし書きたいことは終わったぞとなれば、くりかえしくりかえし推敲する。

───そうすると、何となくいい文章が書けた。

 

むしろ、誰かに向けて丁寧に書いてはいけないとさえ思った。誰かに向けて書いた文章は、その誰かのために書いたノイズのようなものが入り込むと思った。

 

「どうしていい文章になるか?」ということは、あまり深く考えなかった。どのみち言語化できそうにもない。そういうものなのだろうと思うことにしていた。

ところが先日、その理由をシンプルに言語化してくれている本を見つけた。それがこれだ。

読み手を直接頭に描いているときには、「ですます」調がしっくりするし、改まって、読者を第三人称と感じているときには、「である」の方が落着く。どちらがよいと決めてしまうことはできない。

問題は、「ですます」調で書くと、文末語尾が「です」「ます」のくりかえしになって、単調になりやすいことである。うまいバリエイションを考えなくてはならない。それに、「ですます」はすこし冗長な表現になる。きりりと締めるには「である」調の方がすぐれている。

外山 滋比古『知的文章術』(P104)

 

なるほど。

たしかに、知り合いにお気に入りのお店を紹介するとき、「〇〇だからである」「〇〇なのだ」と強く言い切ることはあまりない。相手に丁寧に伝えることを意識する。

逆に、特定の相手を想定していない場合、丁寧すぎると、かえって芯のない紹介になってしまう。だから「である」調を選び、多少不安でも言い切る。力ある演説にもなり、説得力が増す。

 

つまり、この考え方で「である」調に決めたとき、書き手は「のびのびして、いいたいことが言いやすい」という大きなメリットを得ることになる。

 

───ということで、語調に迷うのであれば、外山 氏のいうようにするのがよい。

 

 

調にこだわるのはバカバカしい

まぁ、(記事をぶち壊すが)そもそもの話をするならば、調にこだわるのはバカバカしいとも思う。

つねに混在しまくって、読みにくい文になっているのは問題だが、「ですます」調の途中に、「である」調がとつぜんあらわれる文章もありだと思っている。

 

いわゆる、リズムの面で問題がある場合は混在させるべきだろう。

……べつに後悔はしませんでした。むしろ感謝した。そのかわり準備には「一時間くらい」どころか一回分に二日も三日もかかりました。

この文はいわゆる「です・ます調」で書かれているのに、ぽつりと一ヵ所「した」が現れる。もしこれを「です・ます調」にすれば次のようになろう。

……べつに後悔はしませんでした。むしろ感謝しました。そのかわり準備には「一時間くらい」どころか一回分に二日も三日もかかりました。

この場合、「ました。……ました。」とダブることも問題だが、このていどのダブりは致命的障害にはならない。むしろこれはリズムの上でまずいのである。これも双方を朗読して比べてみれば、わざとここを「した」と書いた理由が理解できよう。

本田 勝一『日本語の作文技術』(P229)

 

文章のリズムは大事だ。ことばは点と点にすぎず、受け手によって結びつけられるからだ。コンテクスト(文脈、前後関係)をとらえていない受け手には、これを読み”解く”ことができなくて曲解される恐れがある。

そのリズムを崩すくらいであれば、混在した方がマシだろう。

 

ことばはひとつひとつ残響、残像をもっていて、次のことばと結びつく。これは映画のフィルムに似ている。ひとつひとつのコマは静止している。これをあるスピードで映写すると、切れ目は消えて動きになる。ことばも、ある速さ、あるリズムで読むと、前の語の残像がはっきりして後の語との空白を埋める。

 

以上。

 

 

楽屋話

───という話をXでしていたら、こんな本をおススメされた。

「ですます」「である」の専門書であるっぽい。「なぜ〈 です・ます 〉で論文を書いてはならないのか?」という疑問から、「世界には〈です・ます〉でしか描けないものがある」みたいな、スケールの大きいことが書いてあるらしい。

 

こいつは面白そうだ───と思い、さっそくポチった。

もしかしたら、「調にこだわるのはバカバカしい」などと言っている私は咎められるのかもしれない。すこし怖いところはあるが、対戦よろしくお願いする。

 

 

参考書籍

本田 勝一『日本語の作文技術』朝日文庫(1982年)
外山 滋比古『知的文章術』大和書房(2024年)

-Example, 文章術

© 2025 はいはいブログ